広瀬淡窓の咸宜園跡地市有地に 18年度にも発掘調査

広瀬淡窓の咸宜園跡地市有地に 18年度にも発掘調査

大分県日田市教育委員会は3月9日、広瀬淡窓(ひろせたんそう、1782~1856年、儒学者、教育者)が開いた江戸時代最大の私塾「咸宜園(かんぎえん)」の西塾跡地(約1100平方㍍)を地権者から2016年12月に取得したことを明らかにした。これにより、咸宜園跡地はすべて市有地化が完了した。同市教委は、西塾に関する文献を調べたうえで、18年度にも発掘調査に入る。
西塾跡地は広瀬淡窓が1807(文化4)年に咸宜園の最初の塾舎や居宅を建てた場所。明治時代の閉塾後、日田郡役所などとして利用され、昭和初期に国史跡指定を受けた。
なお、咸宜園のうち、秋風庵や遠思楼(えんしろう)が現存する東塾跡は14年度に史跡整備を終えている。
広瀬淡窓の門下生には蘭学者の高野長英はじめ、大村益次郎など多数の俊英がいる。