浄土真宗の顕如が秀吉に宛てた書状2通見つかる

浄土真宗の顕如が秀吉に宛てた書状2通見つかる

東京大学史料編纂所によると、浄土真宗の顕如が羽柴秀吉に宛てた書状が2通見つかった。書状は1通が、織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」の翌年、天正11(1583)年に書かれたと考えられ、文面は大坂に入ることになった秀吉に対して、あいさつのため使者を送るというもの。もう1通は、秀吉の昇進の祝いに刀を献上するという内容が記され、秀吉が初めて朝廷から位を授かった天正12(1584)年に送られたとみられる。
延暦寺の焼き討ちに象徴されるように、信長は宗教勢力と激しく対立した。顕如とも同様で、これら2通の書状は信長の死後、秀吉に接近しようと顕如が書いたものだ。
調査にあたった同編纂所では、顕如がこの時点で秀吉を”ポスト信長”の有力な人物と認識していたことがはっきりと分かる、貴重な史料だと指摘している。顕如は「石山合戦」でおよそ10年にわたり信長と激しく対立し、和睦の後、拠点としていた大坂の石山本願寺を出て、紀伊に移った経緯がある。