「雑賀衆・沙也可」を和歌山市の観光振興につなげたい

「雑賀衆・沙也可」を和歌山市の観光振興につなげたい

紀州の異能の”鉄砲集団”として日本史(戦国時代)にその名を残す「雑賀衆(さいかしゅう)」。戦国時代、現在の和歌山市を拠点に勢力を張り、天下取りを目指していた織田信長軍らを相手に戦功を立てた。後に豊臣秀吉に滅ぼされたが、地元では頭領の雑賀孫市(まごいち)は今も市民に親しまれ、春と秋にはまちおこしの祭りが開かれている。この孫市の長男、孫市郎の足跡をたどり、和歌山市の有志らが観光振興につなげようと計画している。

それは、この孫市郎が秀吉の朝鮮出兵に鉄砲頭として従ったものの、投降し、そのまま居着いたとする説がある。韓国では「沙也可(さやか)」と呼ばれていた。子孫と呼ばれる人たちが多く住む韓国・大邱(テグ)には2012年、沙也可の足跡や日韓の文化を紹介する韓日友好館がオープン、2階には「和歌山コーナー」も設けられた。

「雑賀衆・沙也可で街おこしの会」の辻健会長によると、沙也可が日本を語った文献は残っておらず、あくまでも説の一つにとどまる。しかし、辻さんはこれを和歌山市の観光振興につなげ、行く行くは当地での日韓首脳会談開催を夢見る。雑賀衆のルーツと末裔に友好促進の願いを託している。