漱石が病気の妻を思いやる心情を子規に吐露

漱石が病気の妻を思いやる心情を子規に吐露

 夏目漱石が親友で俳人の正岡子規に宛てた書簡が東京都内の古書店で見つかった。1897年(明治30年)8月23日付で俳句が9句書かれており、そのうち2句が未発表だった。漱石が病気の妻を思いやる心情を綴った珍しい句で、専門家は「極めて貴重な資料だ」としている。

 漱石は当時、熊本の第五高等学校の教授。書簡の日付の前夜に東京・根岸の子規庵で句会があり、夏休みで帰京していた漱石も参加していた。書簡の俳句は鎌倉が題材で、句会から一夜明けて新作を子規に届けたとみられる。

 未発表の句は「愚妻病気 心元(こころもと)なき故本日又鎌倉に赴く」という前書きに続き「京に二日また鎌倉の秋を憶(おも)ふ」。前年に結婚した妻鏡子は体調を崩し、この夏を鎌倉で療養しており、妻を思いながら東京から鎌倉に向かう心情を詠んでいる。

 未発表のもう一句は「円覚寺にて」の前書きがついて「禅寺や只秋立つと聞くからに」。円覚寺は後の長編「門」に登場する。子規はこの年、5月に病状が悪化。漱石は俳句を送ることで子規を慰めていたのではないか。