井上 馨 西郷に“三井の大番頭”といわれた“貪官汚吏”の権化

井上 馨 西郷に“三井の大番頭”といわれた“貪官汚吏”の権化
 井上馨(いのうえかおる)は、薩長藩閥の恩恵もあって明治維新政府の大官になったが、明治初頭の尾去沢銅山事件、藤田組の贋札事件など、彼にかかっている疑惑の雲は容易に拭い去ることができないものだ。それだけに、彼がやらかした公私混同も甚だしい、その行為は“貪官汚吏(たんかんおり)”の権化とされた。井上馨の生没年は1836(天保6)~1915年(大正4年)。
 井上馨は萩藩の郷士、100石取りの井上五郎三郎光享(みつゆき)の次男として生まれ、後に250石取りの志道慎平(しじしんぺい)の養子になった。幼名は勇吉、通称を1860年(万延元年)、長州藩主・毛利敬親から賜った名前、聞多(もんた)で呼ばれた。諱は惟精(これきよ)。
 井上馨が三井財閥や長州系の政商と密接に関わり、賄賂と利権で私腹を肥やしたダーティーなイメージの強い人物であることは間違いない。一時は実業界にあっただけに、三井財閥においては最高顧問になるなど密接に関係しているだけに、否定のしようがないわけだ。こうしたあり方を快く思わなかった西郷隆盛からは、井上は政府高官ながら“三井の大番頭”ともいわれたほどだ。
 井上は明治維新後、官界に入り、主に財政に力を入れた。だが、1873年(明治6年)、司法卿・江藤新平に予算問題や尾去沢銅山の汚職事件を追及され辞職。その悪質さは目に余るものだったのだ。司馬遼太郎氏によると、明治の汚職事件は常に井上馨が中心だった。彼は公の持ち物と自分の持ち物が分からない、天性汚職の人だった-と司馬氏が記しているほど。
ところが、懲りないというか、明治の元勲たちにもあった“互助”意識とでも表現すべきものが存在したわけだ。井上は一時は三井組を背景に、先収会社を設立するなどして実業界に身を置いたが、伊藤博文の強い要請のもと復帰。様々な要職を歴任、鹿鳴館を建設、不平等条約の改正交渉にもあたっているが、汚職・不正疑惑の噂が常につきまとう、“貪官汚吏”の権化とされる人物だった。
 こんな井上だが、初めから悪人、いや悪役だったわけではない。彼は幕末期の長州藩の若い志士たちの間で支配的だった尊皇攘夷派に属し、1862年(文久2年)、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文らとともに、品川御殿山のイギリス公使館の焼き討ち事件にも参加している。
1863年(文久3年)、井上は伊藤博文、野村弥吉、山尾庸三、遠藤謹助らとロンドンに密航するため、英国船の石炭庫に隠れて横浜を出港した。イギリスでの留学中、攘夷騒ぎ、外国船砲撃のことを英国新聞で知って、井上と伊藤は半年で帰国したが、それでも英語力はかなりついていたらしい。この1年半後、坂本龍馬や中岡慎太郎が仲介、奔走して成立した「薩長同盟」の成果として、薩摩藩名義で「亀山社中」が購入窓口となった武器買い付けの際、井上と伊藤らは亀山社中のメンバーとともに長崎の武器商人、トーマス・グラバーを訪ね、ゲベール銃の購入契約を結んでいるのだ。
 この武器購入には、二つの歴史的意義があった。一つは「蛤御門の変」以来、犬猿の仲となっていた両藩が歩み寄り、幕府への強力な対抗勢力となったからだ。いま一つは、この新式武装によって長州軍は面目一新し、幕府の征討軍を武力打倒できる軍備を備えることになったからだ。
 幕末期の井上には、少なくとも“悪役”イメージはない。また、維新後の太政官制時代に外務卿、参議となり、黒田内閣で農商務大臣、第二次伊藤内閣で内務大臣、第三次伊藤内閣で大蔵大臣など数々の要職を歴任している。
では、どうして彼のダーティーな、疑惑の雲が生まれたのか。当時の長州藩の情勢が、その気風を養成した点も大いにあった。長州藩主・毛利慶親(よしちか)も、世子の元徳(もとのり)も賢いという人物ではなく、普通の殿様だった。家老にもまた、たいした人物はいなかった。馬関戦争の後始末ができず、当時座敷牢に入れられていた高杉晋作を、大急ぎで引っ張り出して事にあたらせたことをみても、それは明らかだ。こんな藩のありさまでは気力、気概にあふれた若い連中の活発な動きなど統制できるはずはなかった。統制どころか、その連中に鼻面を取って引きずり回されるありさまだった。
 この時代の長州の若い志士たちは、何とか名目をつけては藩から金を引き出しては、品川の遊郭・土蔵相模その他で遊興しているが、それはこの表れの一つだ。こんなとき藩の重役たちに談じ込んで金を引き出す役目にあたったのが井上だったのだ。維新政府ができたとき、井上が大蔵大輔に任命されて、維新政府の財政の局にあたったのは、幕末、長州藩内におけるこの因縁に違いない。維新草創期の大らかさともいえるが、近代日本・再生のスタートの時期だっただけに、「適材適所の人員配置」という物差しでみると、時代遅れで見当違いも甚だしい。

(参考資料)司馬遼太郎「歳月」、司馬遼太郎「世に棲む日日」、司馬遼太郎「この国のかたち 六」、童門冬二「伊藤博文」、三好徹「高杉晋作」、奈良本辰也「不惜身命 如何に死すべきか」、小島直記「人材水脈」、小島直記「福沢山脈」、海音寺潮五郎「乱世の英雄」