私説 小倉百人一首 No.69 能因法師

能因法師
※橘永 (たちばなのながやす)。橘諸兄の子孫。

あらし吹く三室の山のもみぢばは
       竜田の川の錦なりけり

【歌の背景】三室の山(奈良県高市郡飛鳥村にある山)のもみぢが散り落ちても、地形上、竜田川に流れることはない。実景描写ではない。ただ当時の歌の趣向として、三室山と竜田川という二つのもみぢの名所が歌いこまれていれば
よかったので、作者はそれを心得てその二つをうまく“料理”したもの。

【歌 意】嵐が吹き荒れる三室の山のもみぢ葉は、竜田川へ落ちてその流れを錦のように美しく見せて流れていく。

【作者のプロフィル】能因法師は橘諸兄の子孫、遠江守忠望の子。兄、長門守橘元やすの養子になった。俗名は永_。はじめ朝廷に仕えたが、出家して融因、やがて能因と改めた。摂津の古曾部に住んでいたので古曾部の入道ともいわれている。歌が好きで当時、歌名の高かった藤原長能に師事して和歌に精進した。歌道で師弟の関係ができた最初ともいわれる。永承6年(1051)ころまで存命。